躾(しつけ)とは、仏教用語の「習気(じっけ)」から我が国において作られた言葉・漢字だそうです。
そして、仏教でいう習気とは、「習慣性」を指す言葉であり、行動習慣、思考習慣が体に染みつき、心を育む域にまで及んだことだそうです。
転じて、田んぼの稲や、お裁縫の縫い目を真っ直ぐにするための手法を「仕付け(しつけ)」と呼ぶようになったり、集団社会でのルールやマナー、慣習などを身につけることを指すようになったりと概念が拡大してきたそうです。
よく「子供の躾のために…」、「あの子は躾がなってない。」というようなことを聞きますが、親が子を叱り、言って聞かせる事だけが躾ではありません。
親としての価値観を押し付けていないでしょうか。
或いは、組織で上司・部下の関係ということで、考え方を強要していないでしょうか。
大切なことは、「当人が意識せずに、当たり前のこととしてそれが出来るか?」という事ではないでしょうか。
“仕付け糸は着物が完成すれば外されるものである”という前提にたって、子どもも人も育てていく、そして、いつしかその当人は自律していくのでしょう。