書類を渡されて、「資料を見てください。」と言われれば、文章や図が書き込まれている方を表と捉えるのが一般的な考え方であります。
ふとした時に、その一枚一枚の紙を見たならば、我々は、印字されている側を表と受けとり、何も書かれていない方を裏と受けとっていることでしょう。
しかし、その一枚の紙は裏が無いと表も存在しないし、表が無いと裏も存在しないのであります。
ですから、裏の無い表の紙があるか?或いは、表の無い裏の紙があるか?を考えた時に、裏が表を成り立たせ、又、表が裏を成り立たせていると考えられるのです。
普段は、字が書かれている方(オモテ)しか見ていないが、見てない方、見えてない方(ウラ)が、そのものを成り立たせていることに気づくのであります。
世の中も、見えるもの、見ているものが全てではないのでしょう。見てないもの、見えてないものとのつながりこそが本当は大事で、尊いものなのでしょう。