「自分と他者とは違う存在であると気づき、自分という独立した主体を認識するようになる。」
親としては、子供の成長を微笑ましくも思い、また、憎たらしくもなってくる時期であります。
更に成長し、青年になるころには、自分が何者であるか、深く考える時期がくることでしょう。
往々にして、自我、自己中心的な考えを晩年まで引き続き持ち続ける方も居られるでしょう。
この世で、正しいのは自分だ、自分は特別な存在だと思っている。
しかし、自分の思い通りにはいかない世の中、現実がある。
これは、周りの人も、自我を持ち、自己中心的に考え、正しいのは自分であると思っているからなのではないでしょうか。
ここに、誰のものでもないペットボトルのお茶がある。
配られて、手に取って、口をつけた時点で自分のものになることでしょう。その私のものとなった瞬間、自分と他者とを比べている自分がいる。
或いは、友達とスマホでカメラを撮った際に、あなたはまず自分がどこか、どう写っているか見てしまうのでしょう。
このように、我々には、どこまでいっても自分に執着している自我があるのです。
組織・集団生活においては、規則・ルールがありますね。
しかし、時と共に変化していくものでもあります。形があるものは、変わり、或いは無くなってしまうものです。
まずは、自我に気づいて、自分の心を育ってていって欲しいものです。